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中央寺沿革
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實相山中央禪寺の沿革
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明治七年八月西有穆山師曹洞宗管長代理として來道せられ、本道各地を巡回し
その宗教事務を執る事務所として、開拓使に出願して、南二條西九丁目に於て、
千六百貮拾坪の地所を拂下げを受け、教部省に出願して許可を得て小教院を設立
したり、

翌八年大教院派遣少講義小松卍宗師渡道して中教院に昇格す、小松師假教場を
新設し、宗務を執行すると共に各地を巡教し教化の實大に擧れり、
續て明治十一年より十三年に至る三ヶ年苦辛經營して本堂並に重要なる諸堂を
建立し、斯くて寺院の結構成るを以て、同十五年一月十一日附にて中央寺と公稱
の許可を得たり、

後廿一年に至り舊境内地は布教上不便なるに依り、現境内地を購求し豫め移転
の準備を進め、遂に廿三年十二月廿七日附を以て、北海道長官の認可を得、翌廿
四年一月殿堂の移轉に着手し、同廿五年九月轉地土工等、悉く落成を告く、從是
法幢高く飜へり、檀信愈々歸崇するに至る、

小松師は開創の功勳を捨てゝ、自ら第二世に位し、大本山永平寺第六十一世勅
特賜絶學天眞禪師環溪密雲大和尚を開山に請して、永平寺直末となせり、之れ美
徳なりと謂ふべし、後病革るや後董を弟子三澤松偃師に譲り、明治卅四年十二月
廿一日溘然として遷化せられる、

第三世松偃大和尚は堂宇の増築を爲し、又大正四年十一月大正天皇御即位記念
として大梵鐘を鑄造し現鐘樓堂を新築せらる、その慶賛法會を修行して間もなく、
 大正四年十二月十七日遷化せらる、

その後董として尾崎文英大和尚、本山特選にて盛岡市報恩寺より轉住せられ、
在山中現在の書院方丈及び位牌堂を新築し、寺門面目を一新せり、昭和九年退皷
を打ち、市内桑園に靜養せらる、

仍て第五世橘成典大和尚、本山特選により遠州大洞院より喬遷せらる、橘師は
老齢なりし爲め僅かに六年の在住にて、昭和十四年十一月十六日示寂せらる、

而して現在福井天章和尚、千葉縣眞如寺より轉住せるは同年十二月廿日なりと
す、天章和尚は昭和十七年七月大本山永平寺監院を命せられ、三ヶ年祖山に奉仕
し、昭和廿年七月任期満了して歸山せり、その年八月十五日太平洋戰爭終戰した
るを以て、戰後動搖せる思想界に對し、鋭意これか善導に努め、老躯を挺して教
化に盡せり、これ聊か自畫自賛の嫌ひあらん、

若それ事業面に就いて記録せんか、先年三澤師代に鑄造せられし梵鐘は戰時中
供出せしを以て、平和記念として現在の大梵鐘を鑄成せり、これは専ら吉祥婦人
會の有志の助縁に依るものなり、又昭和廿五年當山第二世卍宗大和尚の五十回忌、
及び、高祖大師七百大遠忌の記念事業として、間口六間奥行七間の位牌堂を新築
し、更に不老閣を建築して、聊か報恩の行持となす、云爾、天章識。

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