令和6年11月5・6日 開創150周年慶讃法要を厳修
〈 解 釈 〉
これは一先韻の七言律詩ですが、このように拝読していいかお許しください。南澤禅師さまは中央寺開創一五〇年に対しての感慨が伺われます。青年僧の小松萬宗和尚が草鞋をはいて、時の管長諸嶽奕堂禅師の代理西有穆山禅師に随行して新開地北海道に一歩を印したのは明治七年(一八七四)八月のことでした。
時の北海道大判官松本十郎より許可をえて札幌南二条西九丁目に土地一二六〇歩を許されたのが中央寺の始まりです。その時、穆山禅師は五十四歳、萬宗和尚は二十七歳の青年僧侶か。
漢詩の三句目と四句目は勅賜号で環渓禅師は「絶学天真禅師」穆山禅師は「直心浄国禅師」ですが韻字の関係で「絶学正真」と「直心浄域」の対句になっています。
さて、その尊い教えは「変易なく」「歳華遷り」とあります。どういう意味かお互いに今日の私共になげかけていませんか。
また、次の対句「堂々の面目」とは中央寺の伽藍や大銀杏などの樹木
「粛々の威儀」とは山内で行われている弁道修行
おいおい御二方の創業の功績は勿論、今日まで三世松偃大和尚、四世文英大和尚、五世中興成典大和尚、六世重興天章大和尚、七世慧玉大和尚、八世再中興奕保大和尚、九世俊好大和尚、十世道人大和尚と歴代住職の法灯護持があってのこと。否歴代の総代、檀信徒の帰崇護持をあわせての事を忘れないよともいう。それ故「一五〇年間の古曲を奏でてきた」、今後も大本山永平寺の直末として「浩蕩」(ひろくして大いなる貌)だぞと。
また高祖大師のみ教え只管打坐の道場、中央寺専門僧堂の面目、雲衲打出でもありそれは「自から圓(まどか)」でもあるのです。
乞 批正
中央寺 十一世守塔 忠興拝具